キ ミ に 逢 い た い

ぶつぶつ ひとりごと 。

エイト担だったときのお話

 

こんにちは。またまたわたしです。

先日のブログを書いた後「☆レポート」みたいな内容のメールがきまして。

「あっやばいなんか晒されてんのかな、おおおこわい」と思ったんですが、これツイッターやインスタでいう「いいね」なんですね。

ああああああありがとうございます!!!!!!!!!!

これからもぽつぽつ頑張ります(なにを?)

 

 

いやーほんと、古のオタクなもんで、ブログと言えばやっぱり無駄に急に文字大きくしたりとか、赤文字にしちゃったりとかしちゃうんですよね~。

そういう時代を生きてきたんだよ。

20代後半から上はそうだろ?なあ、そうだと言ってくれ。

一昔前のブログと言えばアメブ口だったんですけど、例に漏れず私も使ってまして。

うん、ツイッターとかそういうSNSがまだない時代です。

内容は今も昔も変わらず、DVDが出たら感想垂れ流したりとかただ愛を叫んでるだけで、そのツールが変わっただけなのよね。

 

 

と、懐かしんだところで前記事で「安田担になった話はまた今度」などと言っていたので、その話をします。

「また今度」って約束は、大人になるとその時はこねぇなって察してしまうけど、急にソッコーで来るときもあるからね。

 

 

私が赤西担から安田担になったのはね・・・・・・・

 

 

正直覚えてないです、大変申し訳ございません。

 

いやー、次書くときまでに思いだしとこって思ってたんですけど、何分遠い記憶だったもんで「これだ!!」って記憶が全く蘇らないの。

もうこりゃ早めに白状しとこうかなって思って!

「そんな程度だったのかよ」と思われるかもしれないけど、ずっとファンだったならともかく、一旦降りて十数年経ってますからね…!

た、多分なんだけど、行きやすかったのが関ジャニ∞のコンサートだったんだと思う。

地方民だと言ったんですけど、ほんとにど田舎もいいところ。日本で46番目か47番目に有名な県ですよ。

(でも西日本なので、エイトが出ている関西ローカルテレビ・CMはチェック出来て、そういうのも大きかったのかなあ。そのうちに∞にハマっていったんだと思われます)

 

学生だから土日で行ける距離じゃないと無理だし、東京なんて行けるほどお金もなくて。

しかも一人で都会(というか県外)に行くなんて親も許さないし、自分自身も怖くて無理。

でも行きたいなあってずっと思っていたある日、とある公演案内が届きます。

それは『関ジャニ∞クリスマスパーティー2005』、最後の松竹座でのコンサート。

 

「お母さん、大阪ならバスで行けるよ、会場もそんなに大きくないから、お母さん一緒に行ってくれない?」

バスで行けると行っても片道5時間はかかる。(新幹線など通っておりませぬ)

でも一番近くて、かつ人ごみの苦手な母親でも大丈夫なぐらいの規模でのコンサート。

母に懇願して、チケットも無事取れて、初めてうちわなんて作っちゃったりして~~

(ジャニーズが好きなことがバレたら恥ずかしいと言っていた私はどこへ)

 

 

肝心のコンサートについては、本当に重ね重ね申し訳ないんだけど、断片的にしか覚えてなくて…

ただ今でも鮮明に覚えているのは、コンサートが始まって、2階席から登場した章大くん(※私はこう安田さんのことを呼んでいました)が、満面の笑みでお手振りしてたんだけど、

 

 

そのとき絶対目が合ってたし、

私に手振ってたと思うんだよ

 

 

この件に関しては異論は絶対に受け付けませんいやだってほんとだもん!!!

今でも安田さんの笑顔を見ると、あの時のことを思い出すし、彼の笑顔がずっとずっと大好きです。

 

そこから何の経由だったか、別のクラスにエイト好きな子が居ることが分かって、その子と仲良くなって、次の『関ジャニ∞ Concert Tour 2006 Funky Tokyo Osaka Nagoyaは友達と大阪まで行きました。

初めて子供だけで行く都会、しかも大好きなアイドルのコンサートですよ。

そりゃもう楽しみで楽しみで、気持ちが昂ぶり過ぎて2週間前ぐらいに風邪を拗らせて軽い肺炎になったよね。※治り際に薄着で外に出たのが原因

現在もお世話になっているかかりつけ医からは「コンサートになんか行けるわけないでしょうが!!!!」と怒られ、注射をされながら悔し泣き。

 

 

ここで「あれ?」と思った方もいると思います。

「友達と大阪まで行きました」と前述していますよね。

はい、医者を無視して行きました。

もう熱も2日ぐらい前には下がってたので…行くしかないって思って…

感染するタイプじゃなかったし、時効だ…許してくれ…

 

そんな状態で行ったFTON城ホはセンステから2列目ぐらいのアリーナという近さで、ほんっと行ってよかった…

おーさかおばちゃんROCKのフリ指導とか∞レンジャーとかめちゃめちゃ楽しかったよ。

 

 

その次の全国ツアーやドームツアーは行きたかったけど、資格試験が被っていたりで行けなかった。

それでもテレビや雑誌で彼らを追っていた。

だけど突然別の方向から「ヴィジュアル系バンド」に出逢い、そっちに熱量が傾いた。

人間って何で均等に愛が注げないんだろうね?

出来る人は全然出来ると思うんだけど、私は同じ事務所のアイドルグループの掛け持ちは出来ても、「全く違うジャンル」の掛け持ちは出来ないみたい。

「もう私は『関ジャニ∞大好き!!!』と胸を張って言ったらいけない」と思ったのは

 

『全国47都道府県 完全制覇!!関ジャニ∞ えっ!ホンマ!?ビックリ!! TOUR 2007』

これが発表されたときだった。

例の友達から「行こうよ」と誘われたけど「お金ないから」って断った。

 

自分の住んでいる県、しかも会場まで割と近い。

交通費なんてゼロみたいなもんで、実質チケ代とグッズ代しか飛ばない。

大阪に遠征するより、費用は全くかからない。

「お金がない」なんて嘘だった。すぐそこに彼らが来るのに、行きたいと思う熱が消えていた。

 

だから私のエイト担は、シングルで言うと『ズッコケ男道』まで。

彼らのことを嫌いになったわけではないので、バラエティとかドラマとかテレビに出てたら見てたよ。

安田さんが出てるから見てた『なるようになるさ。』の金髪男子が後の担当になるの面白いね。

 

 

嫌いになったわけじゃないから、だから、すばるくんのことはすごくショックでした。

Jr.黄金期の筆頭にいて、西を引っ張っていって、関ジャニ∞のことが大好きなすばるが、まさか事務所を辞めるだなんて絶対にない。

人生において「絶対」なんてないのに、辞めるなんてこと微塵も思わなかった。

彼は歌が好きで、アーティスト思考が強いことは分かっていたけれど、まさかジャニーズを離れるなんて信じられなかった。

 

すばるがジャニーズとしての活動を終える2018年の夏の大型音楽番組では懐かしい曲もたくさんやってくれた。

あのときの曲をまた聞けるなんて、でもこんな形で…どの番組も見ながら泣いてた。

これがどういう感情なのかは分からない。

寂しい・悲しい・戸惑い・怒り…なんか色々混ざっていたと思う。

彼の人生であって、私がどう思おうと関係ないし、どうしようものは重々承知しております。

 

 

ただね、ひとつだけ、「私の夢が叶わなくなった」という絶望感が大きかったです。

 

それは【8人揃った関ジャニ∞を見ること】。

私がエイト担を降りた直後、東京ドームで8人揃ってたわけだけど。笑

 

事が事だけに、きっと無理だろうな…とは思いつつ、心の隅で「でも同じ事務所にいるんだから、可能性はゼロじゃないよね」と内くんが期間限定でもなんでも『関ジャニ∞』の名を背負って7人の元に戻る日がこないかな、と夢見てた。

 

 

事務所を辞めたら、その日はこない

しばらくそれが悲しくて仕方なかった。

私ですらこんな感じだったから、現担当さんたちの心中はとんでもなくぐちゃぐちゃだったことと思います。

まだ咀嚼できてない人もいると思う、人の想いはそれぞれだから受け入れられるまでの時間だって人それぞれなわけで。

 

私は、会見のときの「納得いってません」オーラを出しまくってた大倉くんにも「もぉ〜〜さすが末っ子体質〜〜わかるよ〜〜!!」となっていたんですが、今回のツアーでもそんな感じだったというレポを拝見して、ちょっと救われた気持ちになりました。笑

 

 

人生において「絶対」なんてない

 

だから「もう8人が揃うことは絶対にない」なんてこともない

いつか、そのいつかは遠い遠い何十年も先のことになるかもしれないけれど。

初老になった彼らでもいい。

『太陽がみた〜いよ〜おぅ』って内くんが歌う、【Do you agree?】を聴きたい。

 

私は勝手に、ずっとその日を夢見てることにした。

勝手に絶望したくせに、本当にオタクって勝手がすぎるよな!笑

 

 

すばるくん、ありきたりな言葉しか出ないけど、頑張ってください。

アイドルではなく、アーティストとなったすばるくんが活躍する姿を楽しみにしています。

赤西くんとコラボして楽曲出さないかなーライブしないかなーとか思ってたりもするよ!(コソッ)