キ ミ に 逢 い た い

ぶつぶつ ひとりごと 。

それはとても脆い言葉

「また」「次」「今度」などという言葉たちはなんとも不確定なものなのに、どうしていつも「また今度」「次の機会に」を繰り返してしまうのだろう。

 

約3ヶ月前、一番好きなバンドが突然解散した。

10年以上活動を休止していたバンドだった。

私がハマってから2,3曲出した後、休止した記憶がある。

バンドが活動休止するなんて良くある話だし、彼らも結成してもう長かったから、きっとすぐに再開するだろうなんて思っていた。

『再開したら絶対ライブに行きたい』ずっとそう思って待っていた。

 

 

それがまさかなんの前兆もなく、叶わない夢と化すとは思わなかった。

理由が理由なので(偏見かもしれないが、それもバンドマンらしいと言えばバンドマンらしい)、再結成することは恐らくない。

個々に活動はするだろうが、私は何より5人揃った彼らが好きだから、それで良しとはなるはずもない。

 

 

 

そのあと、JUMPのアリーナツアー中止が発表された。

この件に関しては、色々自分の中で「それだけじゃないんだろうな」という色んな憶測はあるのだけれど、勝手なこと言えないし、何よりマナー違反が目立っていたのはJUMPメンバーたちからも言われていたので、見当違いでもなければ棚にあげる問題でも全くもってない。

去年のアリーナツアー、色んな意味で悔しい思いがあった。

謎の会場、西日本での開催が一箇所、それも台風で1日中止となった。

「また来年」行けなかった人、ほぼ全員がそう思っただろうし、行った人も「また来年も」と思ったはず。

 

 

その「また来年」はこなかったね。

機会を潰したのは私たちファンだ。

(マナー違反した人たちをファンとは思いたくないし呼びたくもないけど)

「コンサートが一番楽しい」と言う彼らの楽しみを奪ったのだな、と悲しかった。

 

 

台湾公演の話を聞いたとき「行けねえよ!!」とは思ったが、日本での公演がないのに、と不満に思ったわけではなく、むしろ「コンサートができることになって良かったね」の気持ちが強かった。

アイドルはキラキラと歌って踊るのがお仕事なのだから。

 

 

 

先日の某局の音楽祭で、TOKIOの太一くんが「また歌いてえな〜!」と言った一言が重かった。(イノッチと一緒に、という意味だったかもしれないけど、私は別の意味で受け取った)

 

 

 

 


「また」「次」「今度」

それは約束されているような言葉に見えて、実はとても脆いものだと、何かあってからじゃないと気付けないのがとても哀しくなる